酉崎地区に住む8~10世帯の人が避難していた壕です。履物もなく、ゴツゴツした地面をはだしで歩いていました。海辺に出て、隣の壕には、雨水の溜まる所があり、食料の絶えた人々はそれを飲み、空腹をしのいでいたそうです。この壕の中に当時10農の子供もいました。米兵の歩く姿(足元)が見えると親にロを抑えられ米兵の姿が見えなくなるまで身を潜めていたそうです。